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福島家庭裁判所郡山支部 昭和59年(少ハ)1号 決定

本人 B・Y(昭三九・二・六生)

主文

本人を昭和六〇年九月一六日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

本人は、昭和五九年一月一七日当裁判所で中等少年院送致の決定を受けて、同月一八日盛岡少年院に収容(二級の下に編入)されるとともに、同日少年院法一一条一項但書による収容継続決定がなされたものであるが、昭和六〇年一月一六日をもつて同決定による収容期間が満了となる。

本人は、入院当初は緊張感のある生活を送り、注意を受ける言動もなく指示、指導に対し懸命に取組む姿勢がみられ、その後本科に編入され集団寮に転寮してからも、当初は表面的には指導に乗つた生活を送つていたが、非社交的な性格のため対人関係に悩み、また保護者である兄からの通信がないことによる不安やスキー訓練が苦手であること等から院内生活に不適応をきたした末、昭和五九年三月六日のスキー訓練時に他の院生二人と共に逃走を図つたが、未遂に終わつて謹慎二〇日、二段階級降下の懲戒処分を受けた。本人はこの事件を契機に自己洞察を深めその後の院内生活は徐々に安定してきているが、現在いまだ中間期教育期間中(一級下)であり、今後更に集団処遇の中で知識や協調性を養い、健全な対人関係を保てるよう教育、指導を徹底して社会復帰を図る必要がある。

そこで本人について昭和六〇年一月一七日から同年九月一六日まで八か月間の収容継続を申請する。

(当裁判所の判断)

一  本件記録、当庁家庭裁判所調査官の調査報告書及び審判の結果によれば、申請の要旨記載の事実のほか次の事実を認めることができる。

1  本人は、知能がかなり低劣で思考力、判断力に乏しく、そのため周囲の状況に左右され易く、見通しのある行動をなかなかとれず、そのときどきの感情により衝動的な行動に走りがちである。また対人不信感、劣等感が強く、加えて内的な自我が強い反面自己主張が不適切であり、興奮し易いこと等もあつて対人関係を良好に保持することができず、集団内では孤立しやすい。

2  院内における本人の生活態度についてみると、新入時教育期間中は緊張感が強く、教官の指示指導に従つて特段の問題行動もなく経過したが、昭和五九年二月九日本科(園芸科)に編入(二級の上に進級)され、集団寮に転寮となつて中間期教育に入ると、上記のような性格上の問題点から他の院生との人間関係に悩み、また唯一頼りにしている兄から通信がないことからくる不安やスキー訓練が苦手だつたことも重なつて院内生活に不適応をきたしたあげく、同年三月六日のスキー訓練時に他院生二名と共に逃走を図つたものの直ちに連れ戻され、二〇日間謹慎二段階級降下(三級となる)の懲戒処分を受けた。この事故で本人の処遇課程の進度が全体に遅延する結果となつた。

しかし、その後は徐々に落ち着きを見せ、同年五月三一日に文身(以前交際していた女性の名を縫針を使つて上腕部に入れた件)により謹慎五日の、また同年八月一七日生活態度不良(花札遊びをやろうとして発覚し、花札の出所を尋ねられた際、それを作つた他の院生をかばつて自分が作つた旨申し出た件)により院長訓戒の各処分を受けたほかは特段の問題行動はみられなくなつてきている。そして最近では早期に出院したいとの動機からそれまでの受動的、他律的な態度を改め、自主清掃や珠算三級を目標として余暇時間に練習をしたり、対人関係を良好に保つことの必要性を認識して、他院生に対して積極的に話しかける等の努力をするなど、徐々にではあるが処遇目標の達成に対する積極的態度を示すようになつてきている。しかし、なお前記のような本人の問題点の矯正は不充分で、集団内では大人しいがその裏では我の強さから対人関係を崩してしまう場面がみられる。

3  本人は現在一級下で中間期教育期間中であるが、昭和六〇年一月一日には一級上(出院準備教育期間)に進級の予定である。同教育期間としては通常二か月半ないし三か月を要するところ、本人に対しても出院準備教育を施して残されている上記のような問題点を更に改善させるとともに、これまでの教育成果を確固たるものにする必要がある。また本人自身も一級上の課程を経て自信をもつて退院することを望んでいる。

4  退院後の受入体制についてみると、父は既に亡く、母には本人を指導教育する能力は認められず、結局従来親代わりとなつて本人を監護してきた兄に頼らざるを得ない状況にある。しかし、その兄との関係も少年の度重なる非行により悪化しており、兄は本人の身柄引受を受諾してはいるものの積極的とはいえない。また本人は、退院後の就職先として大工見習を希望しており、その旨を兄や本人の環境調整を担当している保護司にも伝えてあるが、いまだ具体化していない。

二  以上の事情に鑑みると、本人の犯罪的傾向はいまだ矯正されたものということはできず、今後なお出院準備教育を施す必要があるが、収容期間満了日の昭和六〇年一月一六日までに同教育課程を履修させることは困難であるし、また本人の受入体制の弱さ、性格、行動上の問題点、頻回転職歴からみて退院後も相当期間の保護観察を必要とする特別の事情が存在する。そこで本人に対し収容を継続することとし、その期間につき考えるに、本人は昭和六〇年一月一日に一級上に進級予定であるところ、現在本人は処遇目標達成に積極的に取組もうとする姿勢がうかがわれるし、その年齢からいつても、徒らに収容期間を長期化するよりもできるだけ短期間(遅くとも通常要するとされる二か月半ないし三か月)で所定の教育課程を終了させたうえ本人を仮退院させ、残余期間を保護観察期間に充てて社会内処遇を充実させることが相当と思料され、保護観察期間としては約六か月間が必要と考えられる。そこで収容継続の期間は申請どおり昭和六〇年九月一六日までとすることが相当である。

三  よつて、少年院法一一条四項、少年審判規則五五条により主文のとおり決定する。

(裁判官 三浦州夫)

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